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世界一周 ~ポーランド アウシュビッツ 重い歴史を学ぶ~

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アウシュビッツ収容所を訪れて・・・

ポーランドといえば、アウシュビッツ。

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アウシュビッツ収容所とはなにかご存知ですか?

世界遺産になっているアウシュビッツ。日本では負の世界遺産とも呼ばれています。

名前は聞いたことあるけど、学校の授業で習った記憶はあるけど、どんなところか、よく知らない人は多いはず。

実際わたしも今回ここに行くまで、アウシュビッツ収容所がどんなところか、詳しくは知りませんでした。

今回行くにあたって、少しネットで下調べをしました。

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所はポーランドの南部、わたしが今拠点にしているクラクフから電車で2時間の場所にあります。

この収容所は、第二次世界大戦中にドイツが行った人種差別的な絶滅政策、強制労働によって多くの犠牲者をだした場所です。

時は1940年、ドイツはヒトラー率いるナチス政権の時代です。アーリア人至上主義に基づき、非アーリア人はドイツ外へ追放しようという動きがありました。

その時に、ドイツに隣接し、鉄道の接続がよく、炭鉱や石灰の産地が隣接している場所がポーランドの南部の街でした。

このアウシュビッツ・ビルケナウ収容所には始め、政治犯たちが収容されてきましたが、次第にナチスの指令のもとユダヤ人をはじめとする政治犯、ジプシー、精神障害者、身体障害者、同性愛者、聖職者、捕虜が収容されるようになりました。

収容所には、行き先も知らず、着の身着のまま連れてこられた収容者が集められ、到着するとすぐに分別されました。

労働に耐えられる者とそうでない者。そうでない特に老人・女性・子供などはすぐにガス室へと送られたそうです。

これはガス缶。
32分で800名の処刑が可能であったそう。

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労働にも種類があり、中には死体処理の労働もあったそう。

どちらにせよ、アウシュビッツに連れてこられた者たちは遅かれ早かれ死が待っていました。

餓死や病気による死だけではなく、見せしめや口封じのための死もあったそうです。

今回はアウシュビッツ第一強制収容所と第二強制収容所ビルケナウを訪れました。

第一収容所のほうは、展示物がたくさんあります。まず入り口にはARBEIT MACHT FREI 働けば自由になる と書かれています。

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周りは有刺鉄線で厳重に囲まれています。当時はここに電流が流れていたそうで、自殺のためにわざと触れに行った人もいたそう。

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この第一収容所の多くの展示物は例えばこんなもの。

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亡くなった人の靴。おびただしい数の靴の山。

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こんなトイレだったんですね。

第一収容所から3キロ程度離れたところにあるのが、第二収容所。

たぶん一度は見たことある線路があるのがこの場所です。

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この線路は、収容所内まで延びるように引かれた線路です。

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このアウシュビッツでの死亡者数は様々な説がありますが、数百万人以上が死んでいます。

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今回この場所に行き歴史の重さと自分の無知さを思い知りました。

映画・戦場のピアニストを見たことがあり、少しはわかったつもりでいたけど、やはり現地に行ってみると、ここでしか感じることのできないものがありました。

みなさんもぜひ、ポーランドに行った際はアウシュビッツを訪れてください。

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